2012年5月16日水曜日

「平清盛ナイト~清盛と旅する平安時代」 備忘録

2012年5月11日・新宿ロフトプラスワン 18:30開場 19:30開演
[出演]本郷和人(東京大学准教授、「平清盛」時代考証)
[ゲスト]井浦新(俳優、「平清盛」崇徳上皇役)
司会:いそべみゆき
スペシャルゲスト 磯智明(「平清盛」プロデューサー)
(敬称略)


※注意 メモ書きとぼんやりとした記憶が元になっております。信用度はあまり高くありません。

以下、このレポよりかもっと素晴らしいレポへのリンクです。
今回のレポを書くにあたっても参考にさせていただきました。


twitterの崇徳上皇bot様(@sutoku_bot)によるレポまとめ
http://togetter.com/li/303951
写真の順番とタイトルなどは、こちらからそのまま引用させていただきました。

司会 いそべみゆき様ブログ
http://ameblo.jp/jidaiya-miyu/entry-11251176314.html(平清盛ナイトレポ)

【構成】

第一部

・いそべさん&本郷先生によるトーク
時代考証という仕事/「平清盛」という人物/平清盛が生きた時代

・井浦さん登場
井浦崇徳について/井浦さん讃岐巡礼アルバム

(休憩)

第二部 

・トーク続き
男色描写/為朝大好き/

・磯P登場/質問コーナー(アンケートより)/続・質問コーナー(挙手制)/締めの挨拶とCM

第一部・本郷先生トーク

<開演まで>

18時半会場着、既に長い列。整理番号順に呼ばれる。中は女性客ばかり。
一人に1枚、「平清盛に関する史実についての質問をお書きください」というアンケートあり。
本郷先生用かー、と思って突っ込んだことは書かなかったのですが
後から考えれば、ダメ元で何でも書いておけばよかった。

同じテーブルの方(私の他に4人)と開演前に雑談をすると、全員が井浦さんファンで
「録画がたまってて…」「崇徳上皇のところだけ抜粋して見てるので話の筋は追えてなくて…」と言われ
あれ?大河ファンってもしかして開場ではアウェー?ときょとんとする。
(逆に、私の「井浦さんは崇徳院役で初めてちゃんと見ました」発言には皆様びっくり)
「純粋に大河が好きでいらしたんですか!それは貴重ですよ」と言われて心底驚いたのですが
本当に驚くのは、そんなファンの存在を全力で振り切ってガンガンに歴史トークを繰り広げる井浦さんでした。


<19時半、司会のいそべさんと本郷先生登場>

本郷 「今日は井浦さんに会いに来たのよって言う人挙手ー…ああ、いっぱいいますね、
死ねばいいのに
初っぱなからのギリギリ発言に場内爆笑。

本郷「今日はNHKの悪口をいっぱい言おうと思ったんですけど、事情があって言えなくなりました。ので、汚い手でみなさんの心を掴みます。えー、『ほんごうかずとかっこいい』って言ってからオーダーしてくれたら、ワンドリンク奢ります!」
ざわめく開場。司会のいそべさんもびっくり。マジだと分かり、わき上がる拍手。「せんせいかっこいいー!」の声も飛ぶ。

本郷 「井浦さんは現場でお会いすることもあるんですけど、本当に崇徳上皇になりきって役に入っているので、おいそれと声をかけられないんですよね。だから今日普通に洋服で、現代人の格好をしているのを見て驚きました。いやーかっこいい。イケメン。僕だって平安時代ならイケメンなんですけどね!天は二物を与えますよねー…。いやー、ほんと、死ねばい(略
私の心はこのへんで本郷先生に完全に夢中になっています。


<いそべさん&本郷先生によるトーク>
※本郷先生は基本的にギリギリの所を狙っています
※仰ることに毎回ちゃんと出典がついてますが(「○○○○という書物に…」という感じで)全く思い出せません。

→時代考証の仕事とは具体的にどんな感じ?

本郷「たとえば、平家一門が清盛宅で相撲をとるシーン。あの時代の相撲は総合格闘技に近いので、『はっけよい』って立ち会わせたらダメなんです。今後も信西が「相撲の節会」を…あれ?これネタバレになるかな。以前ツイッターで『壇ノ浦で平家滅亡』って書いたら『ネタバレひどいです!』って言われて。(開場爆笑) (いそべさんに向かって)僕がネタバレしすぎてたら、止めてくださいね。で、当時の相撲はモンゴル相撲みたいなやつなんですが、そういうアドバイスをするのが仕事です。
それから、脚本家の藤本さんから、貿易のシーンを描きたいのだけど当時の輸入品で何か面白いものはありますか、みたいな質問があるので、麝香猫や鸚鵡がありますよー、ああ鸚鵡いいですねー、じゃあ鸚鵡で~。というような感じで色々と決めていくお手伝いを…。『どーですかー』『いいんじゃないですかー』みたいなノリで」


→平清盛とはどういう人物?(「一個人」3月号より、清盛年表の映像が出る)

本郷「清盛というのは、
権力を握った人には珍しく、身内を殺していないんですね。弟を殺す権力者っていっぱいいるんですけど、それもしてない。権力者にとって、弟というのは一番のライバルで、すげ替えのきく存在なんです。源氏もそうで、義朝が義賢を殺し、頼朝は義経を殺してます。でも清盛は弟を殺してないし、家人や郎党も殺していない。ここから清盛の人物像が見えるのではないかと」

→「汚い」と言われていますが…

本郷「今回の大河ドラマで、源氏物語みたいなきらきらーとしたイメージの、貴族の大河が見たかった人います?(挙手する人いない)あれ?そうなの?
ええと、汚いという批判があったけども、実際、
平安時代が きれいな わけが ない! たとえば、魂が抜けちゃったら人の体はゴミだから捨てちゃんです。鴨川は今でさえアベック(ここで笑い)アベックって今言わない?カップルですか?カップルがいっぱい座ってますが、当時はあそこは死体でいっぱいでした。一番神聖であるべき神社の境内に「犬が死体の足首をくわえて迷い込んできたよー困ったなぁ」みたいな文献もいっぱいあります。
髪だって月に1度しか洗わないから、すっごいタンパク質臭いわけですよ。で、桧扇で顔を隠しているから、美醜の基準が髪の長さと黒さしかない。歌を送って忍んできて、顔を見たら「うげぇ!」みたいなこともあったはずです。ちなみに当時の美醜の基準は今と全く違って、糸目鉤鼻が美人です。『男衾三郎絵巻』を見ると、ウェーブがかった髪で、ぱっちりした目の女性が『醜女(しこめ)』とされています。だから僕も平安時代に生まれてればイケメンだったわけですよ!(力説)」


→当時の「武士」とはどんな存在か。

本郷「おこりは、自分の土地を守るために武装した集団です。土地を持っているくらいだから、それなりに豊かな集団ではあるけども、黎明期なので、地方なんかほんと北斗の拳の世界だったんじゃないかと思います。あべし!ひでぶ!って。
(ちょっとこのへんはうろ覚えです)
ところで、武士の死因1位は鉄砲ですが、その鉄砲が出てくる前の合戦における武士の死因のトップは何かと言うと、一番が弓矢です。二番が馬に蹴られたとかそういうの。ちなみにヨーロッパだと死因の一位は槍です。だから武士に大事なのは弓。弓が凄い人が一番強い。為朝なんか5人力の弓を引いたと言われています。義経が屋島で自分の弓を必死に拾いに行ったのは、自分が弱い弓しか引けないとばれるのが嫌だから。プライドですね。次に強いのは力が強い人です」

→今回の大河では、清盛は白河院の落胤ということになっていますが…

本郷「それが事実かどうかはともあれ、白河院の落胤というのは沢山いたはずです。江戸時代になると、中国の後宮のように大奥を作りますが、男女関係に厳しいのは、日本史史上、江戸時代の武士社会だけで、ほかの時代や身分の人々はもっとおおらか。なので、誰が誰の子なのかっていうのが分からないというのも別に珍しくはなかった。(にもかかわらず)清盛は「俺は誰なんだー」って叫んで、中二病(笑)って言われていますが、それは主人公が抱えた苦悩の大きさを描くのが狙いです。あと、天皇の息子だからトントン拍子に出世して貴族の一番上に立ちましたー、っていうのはつまんないでしょ?武士だけど偉くなったぞー!ってのが物語として面白いわけで。」

第一部・井浦崇徳院の讃岐巡礼


ここでゲストの井浦さんを呼びましょうという流れに。
司会のいそべさんが「みんなで呼びょう。みんなで
『上皇さまーv』って…」と呼びかけるが、コールの前に出て来ちゃう井浦さん。
センターパート分けの髪型に、大きなメガネにスーツ。(これでサマになるのがすごい)
背が高くて足が長いので着席するのにやや手間取る感じ。

************


で、着席後改めて
「「「「上皇さまー!!」」」」コール。
「ありがとうございます…?…どう反応したらいいのか…」と戸惑う井浦さん。
ここからしばらく井浦崇徳すばらしいねトークが展開される。

本郷「井浦さんの崇徳院すばらしいですね」
井浦「いえいえ」
本郷「前回はすごく評判が良くて、神回だって声をかなり聞きます。特に井浦さんの崇徳が良かったと」
井浦「ありがたいですね」
司会「迫真の演技でしたね、特に最後の
ローリング崇徳!」
(会場爆笑)(井浦さん苦笑)

(このへん、メモと記憶がありません)

井浦「(崇徳院は)僕の中ではずっと崇徳『院』ですね」
本郷「崇徳院というのは後世の呼び名です。徳という字をつけるのは、あんまり良くない死に方をしてしまった帝の御霊を鎮めるためです。崇徳院は讃岐に流されちゃうんですけど…でも讃岐ってあんまり酷いとこじゃないんですよね。隠岐や土佐に流された人と比べればまだマシ。魚おいしいし暖かいし。崇徳院が重罪ではなかったということです」

このへん、メモと記憶がありません)

司会「崇徳院にキャスティングされたときの話を…」
井浦「そうですね、崇徳院とは…なんだかの…なんだなーというのがあって…」
本郷「縁があって(笑)」
井浦「歌川国芳の浮世絵の崇徳院がすごくインパクトがあって気になったんです。 怨霊になるような人々の生き様というのに、すごく興味があって。だから僕は崇徳院=怨霊というところから入っているんです」
司会「国芳といえば、井浦さんは先日行われた歌川国芳展 (http://kuniyoshi.exhn.jp/index.html) ではデザイナーとして参加されたんですよね」
(ちなみに、ヤマコーさんが音声ガイドをしていました)
井浦「ありがたいですね」
本郷「うわぁー。才能あるイケメン」
井浦「キャスティングしてくださった磯プロデューサーとは別の現場でも何度かご一緒させていただいていたので、崇徳院のお話をいただいた時は、磯さんに『僕、崇徳院が好きだって話をしましたっけ?』って聞きました」
(このへんは公式サイトで出てる話だったのでメモってません)
その後、崇徳院の今後についてのネタバレあり。まだ脚本があがってない部分の話だったらしく、驚く井浦さん。


司会「撮影現場での、共演者さんとのほのぼのエピソードなどあれば…」
井浦「……ほのぼの……………」
うーん、と悩んで口を開きかけたところで、司会から「よく一緒にいる人などは」とヘルプが入る。
井浦「矢島さん(教長)ですね。いつも一緒にいます。キャリアの長い役者さんで、セットに入ると『上皇様』って呼んでくれます」
本郷「今回はこういう2人セットみたいな関係が多いですよね。清盛には盛国。義朝には正清。崇徳院には教長。主従萌の人にはたまらないのでは」
司会「そのへんのお話はあとで改めてうかがいましょう」 
井浦「崇徳院はセットの関係もあって、一日でガーッと撮るんです。順撮りで、何年かぶんを。気持ちを繋げたままずっといけるんです。で、またしばらく撮影まで空くという」
本郷「井浦さんの崇徳院からは画面から立ち上るオーラがありますよね。ほんとに見ていてかわいそうになっちゃって…。
崇徳さん何も悪いことしてないのに
井浦「
みごとに。


******************

崇徳院巡りアルバムご披露のコーナー
(崇徳院にキャスティングされた後、平成23年の初夏の写真だそうです)
演劇についてのトークをしている時はぴしっとした姿勢をキープしていた井浦さんですが、
歴史トークになると手が動きます。
「御陵が」と言いつつ山の形を作ったり、「煙がたなびいて」と言って手をひらひらさせたり。
上皇様の手というのはあまり本編で見る機会がないので新鮮。

******************

司会「さて、今回は井浦さんに、崇徳巡りされた時の写真を撮ってきて貰ったんですが、デザイナーさんだし、もっとお洒落な写真とか撮ってるのかと思って写真見たら、
うわ、この人ガチだー!って」(客席笑)

①讃岐うどん(どアップ)
写真の上にタイトル【崇徳上皇の足跡をたどる~香川県坂出市~】

司会「このうどんは…」
井浦「
おいしかったです。」

②白峯御陵から眺める坂出港
井浦「崇徳院は今(御陵から)この風景を見てるんだなーって…。この辺(写真中の浜の一部を指して)で大乗経捨てたのかなーって考えたりして」

③高屋神社 ④血ノ宮(高屋神社) ⑤血ノ宮にある、棺を休めた石
⑤には崇徳の棺を乗せた石があり、そこから血が垂れたという伝説がある。
本郷「あれ?ということは、崇徳院は土葬なの?」
井浦「そういうことですかね?」

⑥白峯御陵(立入禁止)
井浦「何かあったら宮内庁までって。さすがに入れませんでした」
本郷「入って良いのは井浦さんくらいだよね」

⑦十三重石塔
頼朝が崇徳院のために作らせたという伝説のある塔。
本郷「多分それは後世の創作です」
井浦「知らずに撮ったんですけどね。こんなのあるーって」
本郷「それは崇徳院が導いてるんだよ。
『井浦くん。撮りたまえ。』って」

⑧青海(おうみ)神社(煙ノ宮) 崇徳院を荼毘した煙はここから都の方角へ立ち上っていったとのこと。
井浦「待賢門院と崇徳をまつってます。二人一緒で、ちょっとほっとしますね」
本郷「あれ?崇徳院は火葬?」
井浦「あれ?」


【崇徳上皇の足跡をたどる~香川県坂出市~ 其の二】
①西行が登っていった坂 ②血ノ宮 ③青海神社(と思われる)の鳥居に掛かった「崇徳天皇」の額 ⑤鼓岡神社 ⑥鼓岡神社 ⑦鼓岡神社にある「瀬をはやみ~」の歌碑

井浦「坂出では、崇徳院は『天皇さん』って呼ばれて親しまれていました。都が残した文献は、崇徳院に対して同情的と言うよりも怨霊として描いている部分が多くて、おどろおどろしい感じなんですが、坂出ではもっと親しみをこめた扱われた方をしていて、親戚のおじさんというか…」

⑧木の丸殿
井浦「(鼓岡神社・木の丸殿の写真を見ながら)
なんだか空気が違う、と思ってあまり写真を撮れなかったんです。決してネガティブな意味ではないんですが、あんまり居て写真とか撮ったらいけないと思ったので、早く出ようと。で、あとから地元のおじいさんに聞いたら、あそこ(木の丸殿)にお住まいだったということで」

⑩菊塚 崇徳上皇は讃岐へ女房を一人連れて行き、子供が二人いた。そのうち姫の墓。
本郷「そばに女の人がいたんだねー。よかったねー」
井浦「個人宅の敷地の中なんです」
司会「普通の感覚からすると、庭にこんなものあったら邪魔だと思うんですけども」
井浦「もう、自分たちは墓守みたいなものだと言っておられました」
さらっと言ってますが、地元の人や菊塚の土地所有者に積極的に話を聞いている井浦さん。

⑪碗塚 崇徳院が使っていたお椀の墓。
井浦「田圃の中に突然あります」
お椀まできちんと塚が作られているあたり、崇徳院がいかに地元で愛されていたかを感じます、というようなコメント。

【崇徳上皇の足跡をたどる~香川県坂出市~ 其の三】 

①柳田
井浦「僕これについて語りたいんです」(前のめり)

井浦「崇徳院は憤死ということになっています。でも憤死ってのもそもそもどういうことだろうって感じですけど(笑)。世界で10人くらいしかいないんですよ、憤死。カーッ!プツン!っていう感じですかね…それはおいといて。
ですが、讃岐では暗殺説が当たり前のように信じられてるんです。ある日、都から崇徳を狙う使者がやってきて、襲われた崇徳院は逃げるんだけど、この写真の柳田のあたりまで来て捕まって殺されてしまったという話なんです。
それで、その使者の馬の手綱が紫なんですね。紫は後白河が好んで付けていた色なので、後白河が殺したんだろうと。
他に毒殺説もありますが、
僕は崇徳院は絶対に暗殺だと思っています
(珍しく井浦さんがきっぱりと言い切る)
井浦「翔太くんの後白河衣装でも紫は使われていますよね。本当に良く考えられたデザインだと思います」
本郷「でもねー天皇が天皇を殺したなんてやったらいろいろ恐いしね!ドラマではどうなるのか…。ところで変なトコ食いつくけど、さっき『しょうたくん』って。仲良いの?」
井浦「もともとお兄さん(龍平)と仲良しで。プライベートでもいつか共演したいねって言っていたので。翔太くんかっこいいですよね」
本郷「なに
このイケメンの余裕!」

②白峰神社(白峰宮) ③白峰神社 ④白峰神社内のご神木 ⑤岩根桜 ⑥岩根桜の近くにあった切り株

写真はありませんでしたが、夏の盛りに亡くなった崇徳院の遺体を一時保管しておいた泉(八十八の霊水)の話も。
井浦「素敵なオーラを発してて。今は観光地化されていますが、そこのお水でところてんを食べられるんです」
本郷「えっ、
遺体をつけていた泉の水でところてん?」
井浦「
僕はものすごい食べましたけど
本郷「のろわれるよー

⑦朝焼け?の瀬戸内海をスライドに残したまま、休憩タイム。30分くらいあったかな?

第二部・トーク続き


第二部開始。3人でのトークの続き。男色の話から。

司会「女性も多いので、頼長と家盛のシーンはときめいた人も多いかと思うんですけど」
会場に挙手をつのり、ちらほらと手が上がる。
司会「アンケートでも男色についての質問がかなり…」(この話をするのは既定路線だった様子)
本郷「あの時代は暇なんですよ。夜やることがない。だから二人で楽しみましょうっていうと男も女もなく…って、ウフフな感じになります。」
司会「西行と崇徳のシーンも語りぐさですよね。ツイッターでも『きたー!』って」
井浦「そんな感じは現場では全然なかったですけどねー…」
本郷「正清もそうですけど、この人のためなら命もいらない!ってなるじゃないですか。主従に萌える女性はいますよね。今回は主従が熱いんです!崇徳院と西行の二人は友情なの?」
井浦「そっちの気持ちを膨らませて演じました。藤木さんとは現場でも台詞以外の会話をしていないんです。本当に信頼していたら、手ぐらい握るかと思ってそうしましたが、そう言う(恋愛感情)ふうに見えたなら、それは監督さんの見せ方がそうだったのでは」


司会「今後の大河ドラマで、ここを注意して見て!というところはありますか?」
井浦さん、瞼を高速でぱちぱちして考えてから「前回出てきた源為朝は注目してほしいですね…」
本郷「ガンダムねー。すごいよね、橋本じゅんさん」
井浦「為朝に興味があって色々巡ってるんです。伊豆大島とか。大島だと、男らしいことを今でも『ためともだ』って言うんです。『お前ためともだなー!』って」
本郷「大島まで行ったの?すごいなー」
井浦「その後、為朝は琉球に行くって伝説があるんですよね。その子孫が琉球王国の祖になったという。ところで本郷先生にお伺いしたかったんですけど、為朝の母親は日本人なんでしょうか?」
本郷「えっ、その質問来る?うーん、難しいけど、ロシアの漂流民って可能性はあります。○○○○(完全失念)という絵に描かれている人物が、いわゆる天狗で、ロシア系の顔立ちをしているので、あり得ない話ではない。為義が大きかったという可能性もありますけどね。演じている小日向さんは小さいですけど」

為朝トークを繰り広げるお二人。上記は割愛してますがもっと長かった。会場の井浦ファンで、大河の最新話まで見てなかった人は完全においてけぼりです。

井浦「日本って、ロシアや中国、南方の方からも、いろんな文化がごちゃ混ぜに入ってきて、調べてみると地域ごとに色々と残っていて、とても楽しいんです」
(※なんか凄くいいことを言っていたのですけど記憶が曖昧です、でもこんなニュアンスのことでした)
本郷「日本史やってる身としては、そう言うふうに言ってもらえるとホクホクです」
司会「井浦さんは日本全国回っていらっしゃるそうですけど、特に印象に残っているところは」
井浦「どこ、って言うのはないんですけど…東北は縄文時代が色濃く残っていて面白いですね。あとアイヌも、新潟の南の方まで来てたりして…色々とたどると本当に面白い」
本郷「すげぇな…」
井浦「京都は行っても行ってもきりがないし、西日本も楽しいし、日本全国一応は行ってますけど、一度や二度じゃ行ったに入らないですからね」
本郷「すげぇな!努力するイケメン!知的なイケメン!すげぇな!ほんと…しねばいいのにっ!!」

本郷先生の井浦さん好き(ツンデレ)っぷりが炸裂しつつある空気の中、特別ゲスト・磯P登場。

磯「仕事帰りに寄らせていただきました」
本郷「NHKの悪口を言えない理由がこれです!」

質問コーナー・閉幕

アンケート用紙からピックアップ。司会さん&井浦さんがチョイス。井浦さんは磯Pや本郷先生が答えている最中も真剣にアンケートを読んでおいででした。
司会「みなさん本当に読み込んでいて、熱い質問がいっぱいです」

→家盛を愛しているのですが、もう出てこないのでしょうか?
本郷「もう本編には出てこないと思いますが、五島列島には家盛祭りというのがあります」

→衣装がすてきです。どんな素材で作られているのですか?
磯P「麻などです。40年前の『新・平家物語』で使った衣装を再利用などしています。平安時代は皆同じような格好になりがちなので、烏帽子をどう個性的に出来るかなど工夫して、キャラクターの個性を出すようにしています。単に汚れてるだけではないんです。」
井浦「僕、欲しいって衣装さんに言ったんですが断られてしまいました。衣装は裁断などしてまだまだ使うそうです」

→今様を作っているのは誰?
磯P「吉松さんです。当時のそのまま再現ではないですが、日本の音階を使って、なおかつ馴染みやすいようなメロディーに作っていただきました。雅楽もお作りになります」

→清盛が宋剣を持っていますが、実際そんなことあり得たんでしょうか
本郷「ええと、ありえなくはないです。が、日本刀というのは素晴らしく完成された武具で、堅い鋼と柔らかい鋼を組み合わせた、切れるけど折れない刀なんですね。なのであえて宋剣を使うかというと…ドラマなので。あの剣は今後も大活躍します。ドラマの中ではすごく意味のあるモチーフ、キーアイテムです。」

→お香の話(質問忘れました)
井浦「お香は色々と焚いて、映像効果のよいものを探っています。自分は(プライベートでは)いちじくの香りが好きです」
本郷「すごいなー。俺ファブリーズだよ」
井浦「現場用のものは香木をすりつぶしたものを使ってます」

→当時はどんなものを食べていたのでしょうか
本郷「ドラマの中の食べ物は、当時の日記を元に再現してます。広島歴史博物館というところが福山市にあって、そこでは遺跡から再現された当時の食べ物を見ることができます。ハマグリ、鯛、おこわ等。京都みたいな(内陸部の)所はもう少し違ったと思います。食物史という学問の分野があり、○○○○先生などのご研究で、ほぼ完成された学問があります。」

→ドラマ本編で、清盛・義清・義朝の3人がお酒を酌み交わすようなシーンがありましたが、元服後とはいえ、12歳の子供がお酒を飲んでいいものなんでしょうか?それともあれはお酒以外の何かだったのでしょうか?さすがに子供の飲酒は体に悪いのでは。
(これ、井浦さんが私の質問を呼んでくれました。きったない字で書いたので申し訳ないながらもありがたかった…)
本郷「あの時代だと濁り酒ですね。決まり事はないと思います。でもアル中で早世した将軍もいるので、飲み過ぎはよくないですね」
井浦「それからこんなのも…」

→帝の一日について教えてください 
(井浦さんが、私のアンケート用紙からもう1つ選んでくださいました)
本郷「これ井浦さんの担当でしょ?」
井浦「えっ僕ですか?(笑)」
本郷「あまりやることはないです。暇でしょうね。ただ、だからこそ隅々まで美意識を行き渡らせることが出来た。たとえば庭とかですね。現代人は忙しくて細部までこだわるのはとても無理です。それから学問にも励んでいました。○○天皇(失念)などはわずか10歳で非常に達筆な漢文を残しています」

→ほのぼの平家と殺伐源氏の差はどこから…
本郷「平家の領地である西国は豊か、源氏の領地の関東は貧しいのが一番の特徴です。平家は豊かだから一族で争わなくていいんです。逆に源氏は争わないと生き抜けない。パイの取り合いになります」


<質問コーナー2・会場から挙手を募る>


司会「この方達に直接質問が出来るチャンスですよー!」
全体で5~10人くらい手が上がった様子。

→「関西から来ました。龍馬伝では関西弁が使われていましたが、今年は京都が舞台なのになぜ京都弁が全く出ないのでしょう」
磯P・本郷「わからないからです。龍馬伝は最近のことで、資料も残っている。でも今回は千年前の話で、書き言葉しか残っていません。また、洛中と洛外で言葉も違ってきます。そういったことを踏まえて、無難なところを取っているといます」

→「今回のドラマにおける、史実とフィクションの割合は何パーセントずつですか?」
磯P「そもそも、歴史におけるノンフィクションというのはいったい何なのか、という問題があります。史実は事実なのか、それは今はもう誰にも分かりません。ただ、大河ドラマでは『このドラマはフィクションです』という言い方はしていません。ちなみに、調べられるところはかなり忠実にやっています。平安時代の宮中の儀式などですね。文献しかないところを三次元にして映像にするのですが、かなり忠実に再現しています」
本郷「このドラマはかなり史実寄りですよ」

→「自分は天然パーマなんですが、平安時代もそういう人はいたんでしょうか(という感じのことだったような)」
本郷「いました。男衾三郎絵詞に出てきます。本編でも来週から鳴海璃子さんが出ますが、ウェーブヘアです。美醜の基準は変わります」

→「崇徳上皇と雅仁親王とのシーンで、上皇様が建物からそのまま庭に出るシーンがあり、裾が地面についていましたが、このようなことは実際あるのですか?」
本郷「えーと、あります。偉い人になればなるほど、衣装に布をたっぷり使うので、生足を出すことはないですけども(このへん曖昧です)。裾は引きずります。お付きの人は本当は靴を用意したりするでしょうけど」
井浦「あのシーンは、崇徳が雅仁の方に強く引き寄せられるといった感じで撮ろうということで、そのまま降りました」

このあたりでお開き。10時の終了予定が、大幅に推して10時半でした。
本郷先生の本のCMと、井浦さんの映画のCM、「一個人」のCMがあって終了。盛大な拍手とともに3名様が会場をあとにします。
お会計ではきちんと全員からワンドリンク分引いてくださいました。本郷先生ごちそうさまでした。


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とてつもなく楽しかったです。
本郷先生は開始数秒で場の空気をがっつり掴み、この場だからいいよね~というギリギリ感で笑いをとってくれました。東大教授といって偉ぶらないこのトーク力すごい。
井浦さんは真剣に歴史好きで、研究者の本郷先生とお話出来るのが心底嬉しいらしくいろんな話を振り、真剣に耳を傾け、聞いてるこっちも新鮮な情報がたくさん。
崇徳院と井浦新という組み合わせはお互いにとって幸せだったのではないかとホントに思いました。

楽しかったです!第二段希望します。鳥羽院と崇徳院と本郷先生とか見たいー!