2012年5月16日水曜日

第一部・井浦崇徳院の讃岐巡礼


ここでゲストの井浦さんを呼びましょうという流れに。
司会のいそべさんが「みんなで呼びょう。みんなで
『上皇さまーv』って…」と呼びかけるが、コールの前に出て来ちゃう井浦さん。
センターパート分けの髪型に、大きなメガネにスーツ。(これでサマになるのがすごい)
背が高くて足が長いので着席するのにやや手間取る感じ。

************


で、着席後改めて
「「「「上皇さまー!!」」」」コール。
「ありがとうございます…?…どう反応したらいいのか…」と戸惑う井浦さん。
ここからしばらく井浦崇徳すばらしいねトークが展開される。

本郷「井浦さんの崇徳院すばらしいですね」
井浦「いえいえ」
本郷「前回はすごく評判が良くて、神回だって声をかなり聞きます。特に井浦さんの崇徳が良かったと」
井浦「ありがたいですね」
司会「迫真の演技でしたね、特に最後の
ローリング崇徳!」
(会場爆笑)(井浦さん苦笑)

(このへん、メモと記憶がありません)

井浦「(崇徳院は)僕の中ではずっと崇徳『院』ですね」
本郷「崇徳院というのは後世の呼び名です。徳という字をつけるのは、あんまり良くない死に方をしてしまった帝の御霊を鎮めるためです。崇徳院は讃岐に流されちゃうんですけど…でも讃岐ってあんまり酷いとこじゃないんですよね。隠岐や土佐に流された人と比べればまだマシ。魚おいしいし暖かいし。崇徳院が重罪ではなかったということです」

このへん、メモと記憶がありません)

司会「崇徳院にキャスティングされたときの話を…」
井浦「そうですね、崇徳院とは…なんだかの…なんだなーというのがあって…」
本郷「縁があって(笑)」
井浦「歌川国芳の浮世絵の崇徳院がすごくインパクトがあって気になったんです。 怨霊になるような人々の生き様というのに、すごく興味があって。だから僕は崇徳院=怨霊というところから入っているんです」
司会「国芳といえば、井浦さんは先日行われた歌川国芳展 (http://kuniyoshi.exhn.jp/index.html) ではデザイナーとして参加されたんですよね」
(ちなみに、ヤマコーさんが音声ガイドをしていました)
井浦「ありがたいですね」
本郷「うわぁー。才能あるイケメン」
井浦「キャスティングしてくださった磯プロデューサーとは別の現場でも何度かご一緒させていただいていたので、崇徳院のお話をいただいた時は、磯さんに『僕、崇徳院が好きだって話をしましたっけ?』って聞きました」
(このへんは公式サイトで出てる話だったのでメモってません)
その後、崇徳院の今後についてのネタバレあり。まだ脚本があがってない部分の話だったらしく、驚く井浦さん。


司会「撮影現場での、共演者さんとのほのぼのエピソードなどあれば…」
井浦「……ほのぼの……………」
うーん、と悩んで口を開きかけたところで、司会から「よく一緒にいる人などは」とヘルプが入る。
井浦「矢島さん(教長)ですね。いつも一緒にいます。キャリアの長い役者さんで、セットに入ると『上皇様』って呼んでくれます」
本郷「今回はこういう2人セットみたいな関係が多いですよね。清盛には盛国。義朝には正清。崇徳院には教長。主従萌の人にはたまらないのでは」
司会「そのへんのお話はあとで改めてうかがいましょう」 
井浦「崇徳院はセットの関係もあって、一日でガーッと撮るんです。順撮りで、何年かぶんを。気持ちを繋げたままずっといけるんです。で、またしばらく撮影まで空くという」
本郷「井浦さんの崇徳院からは画面から立ち上るオーラがありますよね。ほんとに見ていてかわいそうになっちゃって…。
崇徳さん何も悪いことしてないのに
井浦「
みごとに。


******************

崇徳院巡りアルバムご披露のコーナー
(崇徳院にキャスティングされた後、平成23年の初夏の写真だそうです)
演劇についてのトークをしている時はぴしっとした姿勢をキープしていた井浦さんですが、
歴史トークになると手が動きます。
「御陵が」と言いつつ山の形を作ったり、「煙がたなびいて」と言って手をひらひらさせたり。
上皇様の手というのはあまり本編で見る機会がないので新鮮。

******************

司会「さて、今回は井浦さんに、崇徳巡りされた時の写真を撮ってきて貰ったんですが、デザイナーさんだし、もっとお洒落な写真とか撮ってるのかと思って写真見たら、
うわ、この人ガチだー!って」(客席笑)

①讃岐うどん(どアップ)
写真の上にタイトル【崇徳上皇の足跡をたどる~香川県坂出市~】

司会「このうどんは…」
井浦「
おいしかったです。」

②白峯御陵から眺める坂出港
井浦「崇徳院は今(御陵から)この風景を見てるんだなーって…。この辺(写真中の浜の一部を指して)で大乗経捨てたのかなーって考えたりして」

③高屋神社 ④血ノ宮(高屋神社) ⑤血ノ宮にある、棺を休めた石
⑤には崇徳の棺を乗せた石があり、そこから血が垂れたという伝説がある。
本郷「あれ?ということは、崇徳院は土葬なの?」
井浦「そういうことですかね?」

⑥白峯御陵(立入禁止)
井浦「何かあったら宮内庁までって。さすがに入れませんでした」
本郷「入って良いのは井浦さんくらいだよね」

⑦十三重石塔
頼朝が崇徳院のために作らせたという伝説のある塔。
本郷「多分それは後世の創作です」
井浦「知らずに撮ったんですけどね。こんなのあるーって」
本郷「それは崇徳院が導いてるんだよ。
『井浦くん。撮りたまえ。』って」

⑧青海(おうみ)神社(煙ノ宮) 崇徳院を荼毘した煙はここから都の方角へ立ち上っていったとのこと。
井浦「待賢門院と崇徳をまつってます。二人一緒で、ちょっとほっとしますね」
本郷「あれ?崇徳院は火葬?」
井浦「あれ?」


【崇徳上皇の足跡をたどる~香川県坂出市~ 其の二】
①西行が登っていった坂 ②血ノ宮 ③青海神社(と思われる)の鳥居に掛かった「崇徳天皇」の額 ⑤鼓岡神社 ⑥鼓岡神社 ⑦鼓岡神社にある「瀬をはやみ~」の歌碑

井浦「坂出では、崇徳院は『天皇さん』って呼ばれて親しまれていました。都が残した文献は、崇徳院に対して同情的と言うよりも怨霊として描いている部分が多くて、おどろおどろしい感じなんですが、坂出ではもっと親しみをこめた扱われた方をしていて、親戚のおじさんというか…」

⑧木の丸殿
井浦「(鼓岡神社・木の丸殿の写真を見ながら)
なんだか空気が違う、と思ってあまり写真を撮れなかったんです。決してネガティブな意味ではないんですが、あんまり居て写真とか撮ったらいけないと思ったので、早く出ようと。で、あとから地元のおじいさんに聞いたら、あそこ(木の丸殿)にお住まいだったということで」

⑩菊塚 崇徳上皇は讃岐へ女房を一人連れて行き、子供が二人いた。そのうち姫の墓。
本郷「そばに女の人がいたんだねー。よかったねー」
井浦「個人宅の敷地の中なんです」
司会「普通の感覚からすると、庭にこんなものあったら邪魔だと思うんですけども」
井浦「もう、自分たちは墓守みたいなものだと言っておられました」
さらっと言ってますが、地元の人や菊塚の土地所有者に積極的に話を聞いている井浦さん。

⑪碗塚 崇徳院が使っていたお椀の墓。
井浦「田圃の中に突然あります」
お椀まできちんと塚が作られているあたり、崇徳院がいかに地元で愛されていたかを感じます、というようなコメント。

【崇徳上皇の足跡をたどる~香川県坂出市~ 其の三】 

①柳田
井浦「僕これについて語りたいんです」(前のめり)

井浦「崇徳院は憤死ということになっています。でも憤死ってのもそもそもどういうことだろうって感じですけど(笑)。世界で10人くらいしかいないんですよ、憤死。カーッ!プツン!っていう感じですかね…それはおいといて。
ですが、讃岐では暗殺説が当たり前のように信じられてるんです。ある日、都から崇徳を狙う使者がやってきて、襲われた崇徳院は逃げるんだけど、この写真の柳田のあたりまで来て捕まって殺されてしまったという話なんです。
それで、その使者の馬の手綱が紫なんですね。紫は後白河が好んで付けていた色なので、後白河が殺したんだろうと。
他に毒殺説もありますが、
僕は崇徳院は絶対に暗殺だと思っています
(珍しく井浦さんがきっぱりと言い切る)
井浦「翔太くんの後白河衣装でも紫は使われていますよね。本当に良く考えられたデザインだと思います」
本郷「でもねー天皇が天皇を殺したなんてやったらいろいろ恐いしね!ドラマではどうなるのか…。ところで変なトコ食いつくけど、さっき『しょうたくん』って。仲良いの?」
井浦「もともとお兄さん(龍平)と仲良しで。プライベートでもいつか共演したいねって言っていたので。翔太くんかっこいいですよね」
本郷「なに
このイケメンの余裕!」

②白峰神社(白峰宮) ③白峰神社 ④白峰神社内のご神木 ⑤岩根桜 ⑥岩根桜の近くにあった切り株

写真はありませんでしたが、夏の盛りに亡くなった崇徳院の遺体を一時保管しておいた泉(八十八の霊水)の話も。
井浦「素敵なオーラを発してて。今は観光地化されていますが、そこのお水でところてんを食べられるんです」
本郷「えっ、
遺体をつけていた泉の水でところてん?」
井浦「
僕はものすごい食べましたけど
本郷「のろわれるよー

⑦朝焼け?の瀬戸内海をスライドに残したまま、休憩タイム。30分くらいあったかな?

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。