2012年5月16日水曜日

第一部・本郷先生トーク

<開演まで>

18時半会場着、既に長い列。整理番号順に呼ばれる。中は女性客ばかり。
一人に1枚、「平清盛に関する史実についての質問をお書きください」というアンケートあり。
本郷先生用かー、と思って突っ込んだことは書かなかったのですが
後から考えれば、ダメ元で何でも書いておけばよかった。

同じテーブルの方(私の他に4人)と開演前に雑談をすると、全員が井浦さんファンで
「録画がたまってて…」「崇徳上皇のところだけ抜粋して見てるので話の筋は追えてなくて…」と言われ
あれ?大河ファンってもしかして開場ではアウェー?ときょとんとする。
(逆に、私の「井浦さんは崇徳院役で初めてちゃんと見ました」発言には皆様びっくり)
「純粋に大河が好きでいらしたんですか!それは貴重ですよ」と言われて心底驚いたのですが
本当に驚くのは、そんなファンの存在を全力で振り切ってガンガンに歴史トークを繰り広げる井浦さんでした。


<19時半、司会のいそべさんと本郷先生登場>

本郷 「今日は井浦さんに会いに来たのよって言う人挙手ー…ああ、いっぱいいますね、
死ねばいいのに
初っぱなからのギリギリ発言に場内爆笑。

本郷「今日はNHKの悪口をいっぱい言おうと思ったんですけど、事情があって言えなくなりました。ので、汚い手でみなさんの心を掴みます。えー、『ほんごうかずとかっこいい』って言ってからオーダーしてくれたら、ワンドリンク奢ります!」
ざわめく開場。司会のいそべさんもびっくり。マジだと分かり、わき上がる拍手。「せんせいかっこいいー!」の声も飛ぶ。

本郷 「井浦さんは現場でお会いすることもあるんですけど、本当に崇徳上皇になりきって役に入っているので、おいそれと声をかけられないんですよね。だから今日普通に洋服で、現代人の格好をしているのを見て驚きました。いやーかっこいい。イケメン。僕だって平安時代ならイケメンなんですけどね!天は二物を与えますよねー…。いやー、ほんと、死ねばい(略
私の心はこのへんで本郷先生に完全に夢中になっています。


<いそべさん&本郷先生によるトーク>
※本郷先生は基本的にギリギリの所を狙っています
※仰ることに毎回ちゃんと出典がついてますが(「○○○○という書物に…」という感じで)全く思い出せません。

→時代考証の仕事とは具体的にどんな感じ?

本郷「たとえば、平家一門が清盛宅で相撲をとるシーン。あの時代の相撲は総合格闘技に近いので、『はっけよい』って立ち会わせたらダメなんです。今後も信西が「相撲の節会」を…あれ?これネタバレになるかな。以前ツイッターで『壇ノ浦で平家滅亡』って書いたら『ネタバレひどいです!』って言われて。(開場爆笑) (いそべさんに向かって)僕がネタバレしすぎてたら、止めてくださいね。で、当時の相撲はモンゴル相撲みたいなやつなんですが、そういうアドバイスをするのが仕事です。
それから、脚本家の藤本さんから、貿易のシーンを描きたいのだけど当時の輸入品で何か面白いものはありますか、みたいな質問があるので、麝香猫や鸚鵡がありますよー、ああ鸚鵡いいですねー、じゃあ鸚鵡で~。というような感じで色々と決めていくお手伝いを…。『どーですかー』『いいんじゃないですかー』みたいなノリで」


→平清盛とはどういう人物?(「一個人」3月号より、清盛年表の映像が出る)

本郷「清盛というのは、
権力を握った人には珍しく、身内を殺していないんですね。弟を殺す権力者っていっぱいいるんですけど、それもしてない。権力者にとって、弟というのは一番のライバルで、すげ替えのきく存在なんです。源氏もそうで、義朝が義賢を殺し、頼朝は義経を殺してます。でも清盛は弟を殺してないし、家人や郎党も殺していない。ここから清盛の人物像が見えるのではないかと」

→「汚い」と言われていますが…

本郷「今回の大河ドラマで、源氏物語みたいなきらきらーとしたイメージの、貴族の大河が見たかった人います?(挙手する人いない)あれ?そうなの?
ええと、汚いという批判があったけども、実際、
平安時代が きれいな わけが ない! たとえば、魂が抜けちゃったら人の体はゴミだから捨てちゃんです。鴨川は今でさえアベック(ここで笑い)アベックって今言わない?カップルですか?カップルがいっぱい座ってますが、当時はあそこは死体でいっぱいでした。一番神聖であるべき神社の境内に「犬が死体の足首をくわえて迷い込んできたよー困ったなぁ」みたいな文献もいっぱいあります。
髪だって月に1度しか洗わないから、すっごいタンパク質臭いわけですよ。で、桧扇で顔を隠しているから、美醜の基準が髪の長さと黒さしかない。歌を送って忍んできて、顔を見たら「うげぇ!」みたいなこともあったはずです。ちなみに当時の美醜の基準は今と全く違って、糸目鉤鼻が美人です。『男衾三郎絵巻』を見ると、ウェーブがかった髪で、ぱっちりした目の女性が『醜女(しこめ)』とされています。だから僕も平安時代に生まれてればイケメンだったわけですよ!(力説)」


→当時の「武士」とはどんな存在か。

本郷「おこりは、自分の土地を守るために武装した集団です。土地を持っているくらいだから、それなりに豊かな集団ではあるけども、黎明期なので、地方なんかほんと北斗の拳の世界だったんじゃないかと思います。あべし!ひでぶ!って。
(ちょっとこのへんはうろ覚えです)
ところで、武士の死因1位は鉄砲ですが、その鉄砲が出てくる前の合戦における武士の死因のトップは何かと言うと、一番が弓矢です。二番が馬に蹴られたとかそういうの。ちなみにヨーロッパだと死因の一位は槍です。だから武士に大事なのは弓。弓が凄い人が一番強い。為朝なんか5人力の弓を引いたと言われています。義経が屋島で自分の弓を必死に拾いに行ったのは、自分が弱い弓しか引けないとばれるのが嫌だから。プライドですね。次に強いのは力が強い人です」

→今回の大河では、清盛は白河院の落胤ということになっていますが…

本郷「それが事実かどうかはともあれ、白河院の落胤というのは沢山いたはずです。江戸時代になると、中国の後宮のように大奥を作りますが、男女関係に厳しいのは、日本史史上、江戸時代の武士社会だけで、ほかの時代や身分の人々はもっとおおらか。なので、誰が誰の子なのかっていうのが分からないというのも別に珍しくはなかった。(にもかかわらず)清盛は「俺は誰なんだー」って叫んで、中二病(笑)って言われていますが、それは主人公が抱えた苦悩の大きさを描くのが狙いです。あと、天皇の息子だからトントン拍子に出世して貴族の一番上に立ちましたー、っていうのはつまんないでしょ?武士だけど偉くなったぞー!ってのが物語として面白いわけで。」

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